伝説の投資家ジョン・テンプルトンの叡智が私たちの羅針盤となります。「悲観の極みで買い、楽観の極みで売る」――この言葉の本質は、群集心理の渦から一歩離れ、価格と価値の乖離に冷静な目を向けることにあります。本記事では、この不朽の原則を現代の市場にどう適用し、具体的な投資機会を見出すか、私の実践的視点から深く、そして多角的に解説していきます。

相場の現在地:楽観と悲観が織りなす複雑な地図
投資の世界で成功を収めるためには、まず自分が立っている場所、つまり現在の相場環境を正確に把握する「地図」が必要です。2025年8月現在、世界市場は単純な強気・弱気では語れない、複雑な様相を呈しています。
全体観:高値圏での綱渡りが続く米国市場と、根深い課題を抱える中国市場
まず、世界経済の牽引役である米国です。S&P500指数は依然として高値圏で推移しており、市場の表面には楽観的なムードすら感じられます。特にAI関連セクターの熱狂は衰えを知らず、一部の銘柄には明らかに「楽観の極み」と呼べるほどの期待が織り込まれているように見えます。
しかし、その裏側ではFRB(米連邦準備制度理事会)の金融政策を巡る不透明感が渦巻いています。一時期高まった早期利下げへの期待は、根強いインフレ圧力や底堅い雇用統計を受けて後退。現在の米国10年債利回りは4.3%〜4.5%のレンジで推移しており、高金利環境の長期化シナリオも現実味を帯びています。この高金利は、特に高PERで取引されるグロース株や、借入依存度の高い企業の重しとなりかねません。楽観の裏に潜むリスクの芽を、私たちは見逃してはなりません。
一方、日本の株式市場は、企業統治改革への期待というポジティブな材料と、金融政策正常化への警戒感や円安の持て余しというネガティブな材料が綱引きを演じています。日経平均株価は4万円の大台を挟んで一進一退を繰り返しており、明確な方向性を見出すのが難しい状況です。個々の企業の変革努力が実を結ぶかどうかが、今後の株価を左右する重要な鍵となるでしょう。
欧州では、ECB(欧州中央銀行)が利下げサイクルに入ったものの、景気後退への懸念は根強く残ります。ウクライナ情勢の長期化はエネルギーコストやサプライチェーンへの不安を燻らせ続けており、投資家のマインドを冷やしています。
そして、テンプルトン流の「悲観の極み」を探す上で、現在の私たちが最も注目すべき市場の一つが中国です。不動産セクターの不振は解決の糸口が見えず、デフレ圧力は強まる一方。若者の失業率も高止まりしており、内需の本格的な回復には程遠い状況です。政府が打ち出す景気刺激策も、市場の信頼を完全に取り戻すには至っていません。多くの投資家が中国市場から距離を置こうとする今、まさに「悲観」が市場を支配していると言えるでしょう。
このように、世界を見渡せば「楽観」と「悲観」がモザイク状に広がっています。テンプルトンの教えに従うならば、私たちの仕事は、この地図の中から「過度な悲観」によって不当に売り込まれている資産と、「過度な楽観」によって危険な水準まで買われている資産を見つけ出すことにあります。
マクロ環境の深層海流:金利、為替、クレジットが示すもの
市場の表面的な値動きだけでなく、その下を流れるマクロ経済の「深層海流」を読み解くことは、投資判断の精度を高める上で不可欠です。
金利:高止まりがもたらす「規律」と「好機」
前述の通り、米国の長期金利は高止まりしています。これは、市場がFRBのインフレ退治に対する強い意志を織り込んでいる証左です。この高金利環境は、二つの側面から私たちの投資戦略に影響を与えます。
一つは、「規律」の要求です。低金利時代には許容された「夢」や「期待」だけで買われるようなビジネスモデルは、資金調達コストの上昇という厳しい現実に直面します。キャッシュフローを安定的に生み出せない企業、財務基盤の脆弱な企業は淘汰の圧力に晒されるでしょう。これは、テンプルトンが重視した「質の高い企業」を選別する上で、むしろ好ましい環境と言えます。
もう一つは、「好機」の提供です。金利が上昇するということは、債券の利回りも上昇するということです。実際に、質の高い投資適格社債や、さらには米国長期国債そのものが、数年前には考えられなかったような魅力的な利回りを提供しています。株式市場の不確実性が高い局面において、確定利回りを提供する債券への分散投資は、ポートフォリオの安定性を高める上で非常に有効な選択肢となります。株式市場全体に悲観が広がった際には、こうした安全資産からの資金還流が、次の上昇相場を支えるエネルギー源にもなり得るのです。
為替:円安は「楽観」、円高リスクは「悲観」か?
ドル円相場は、1ドル=155円〜160円という歴史的な円安水準での攻防が続いています。この状況は、輸出企業にとっては追い風であり、株価を押し上げる要因の一つとなっています。このセクターにはある種の「楽観」が漂っていると言えるでしょう。
しかし、私たちは常に物事の裏側を考えなければなりません。この円安は、日米の圧倒的な金利差(米国の政策金利5.25-5.50%、日本の政策金利0-0.1%)を主因としています。もし、米国の景気後退が鮮明になりFRBが利下げに転じる、あるいは日銀が市場の予想を上回るペースで金融正常化を進める、といった事態になれば、この金利差は縮小に向かいます。その時、円安の流れが反転し、急激な円高が進行するリスクも十分に考えられます。
この「円高リスク」という「悲観」シナリオに備えることも、逆張り投資家としての務めです。例えば、円高がメリットとなる輸入企業や、海外旅行関連、あるいは内需型のディフェンシブ銘柄などを、今のうちからリストアップしておく。そして、実際に円高への潮目が変わった時に行動できるよう、準備を整えておくのです。

地政学リスクの波紋:短期のノイズと中期の潮流を見極める
地政学リスクは、市場に突発的なボラティリティをもたらす厄介な存在です。しかし、テンプルトンは、戦争や政治的混乱といった「最大の悲観」が渦巻く中でこそ、絶好の買い場が訪れることを見抜いていました。
短期的な波及:米中対立がもたらす「分断」と「機会」
米中の技術覇権を巡る争いは、とどまるところを知りません。米国による半導体関連の輸出規制強化は、中国のハイテク産業に深刻な打撃を与えています。この規制の直接的な影響を受ける中国企業、あるいは中国への売上比率が高い西側企業の株価には、強い「悲観」が覆いかぶさっています。
しかし、この分断は、新たな需要も生み出します。中国は、米国の規制を乗り越えるべく、半導体の内製化に巨額の投資を続けています。この国策の恩恵を受ける中国国内の装置メーカーや材料メーカーには、巨大な成長機会が眠っている可能性があります。もちろん、技術的なハードルや米国のさらなる規制強化というリスクは存在します。だからこそ、株価は割安に放置されているのです。深い分析に基づき、リスクとリターンを見極めることができれば、大きな果実を得られるかもしれません。
同様に、西側諸国も中国への依存から脱却すべく、サプライチェーンの再構築(リショアリング、フレンドショアリング)を急いでいます。これにより、東南アジアやインド、メキシコといった国々が新たな生産拠点として注目を集めています。これらの国々の株式市場や、そこで事業を展開する日本企業にも、中期的な追い風が吹いているのです。
中期的な潮流:ウクライナ後の世界とエネルギー安全保障
ウクライナでの紛争が長期化する中、欧州はロシア産エネルギーからの脱却という困難な課題に直面し続けています。これは欧州経済にとって大きな「悲観」材料であり、特にドイツなどの製造業はエネルギーコストの高騰に苦しんでいます。
しかし、この危機は、エネルギー安全保障の重要性を世界中に再認識させました。結果として、再生可能エネルギーへの移行が加速し、LNG(液化天然ガス)のサプライチェーンが強化され、さらには原子力の再評価も進むなど、エネルギー地政学の地図は大きく塗り替えられつつあります。
一時期、政策期待で買われすぎたクリーンエネルギー関連株は、金利上昇とコスト増のダブルパンチで大きく調整し、今は「悲観」に包まれているセクターの一つです。しかし、エネルギー転換という長期的な潮流が変わったわけではありません。テンプルトンなら、こうした「一時的な困難」に直面しているものの、「長期的な需要」が確実なセクターの中から、財務的に健全で技術力のある企業を辛抱強く探すことでしょう。

セクター分析:悲観と楽観の最前線
マクロ環境と地政学の地図を広げたところで、次はいよいよ具体的なセクターに焦点を当て、どこにテンプルトン流の投資機会が眠っているかを探っていきます。
「楽観の極み」への警戒:AI・半導体セクター
現在の市場で最も「楽観」が支配しているセクターは、間違いなくAI・半導体関連でしょう。生成AIの登場が産業構造を根底から変えるという期待は本物であり、その中核を担う企業の成長性には疑いの余地がありません。NVIDIAを筆頭とする一部の企業は、驚異的な業績を叩き出しています。
しかし、テンプルトンは常に「今回は違う」という言葉に懐疑的でした。素晴らしい企業であることと、素晴らしい投資対象であることは、必ずしもイコールではありません。現在のAI関連銘柄の中には、将来数年分の成長どころか、実現可能かどうかも分からないレベルの期待まで織り込み、PSR(株価売上高倍率)が数十倍、時には100倍を超えるような銘柄も散見されます。
これは、まさに「楽観の極み」です。このような銘柄は、少しでも成長が鈍化したり、期待に応えられない決算を出したりしただけで、株価が急落するリスクを内包しています。私たちが取るべきスタンスは、この熱狂から一歩引いて冷静になることです。保有している場合は、一部利益を確定してリスクを管理する。新規に参入する場合は、このセクターの中でも比較的バリュエーションが落ち着いている銘柄や、ブームの恩恵を受ける周辺分野(例えば、データセンター向けの電力設備や冷却システムなど)に目を向ける、といった戦略が考えられます。

「悲観の極み」の候補地①:中国インターネット・消費関連セクター
前述の通り、中国市場はマクロ経済への強い懸念から、多くの投資家に見放されています。特に、かつて中国の成長を象徴したアリババやテンセントといったインターネット大手は、政府による規制強化と景気減速のダブルパンチを受け、株価はピーク時から見る影もありません。
しかし、ここにこそ「悲観の極み」での買い場が潜んでいる可能性があります。これらの企業が持つプラットフォームの支配力や、保有する膨大なデータ、そして技術力は、今もって強力です。中国政府の規制スタンスも、経済を支えるために過度な締め付けから容認へと軟化する兆しが見られます。
もちろん、不動産問題が金融システムに波及するリスクや、米中対立の激化といった不確実性は依然として存在します。だからこそ、誰もが手を出せずにいるのです。テンプルトン流を実践するならば、こうしたマクロリスクを認識した上で、個別企業のファンダメンタルズを徹底的に分析します。
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チェックポイント:
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バランスシートは健全か?(ネットキャッシュは潤沢か?)
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中核事業は安定したキャッシュフローを生み出しているか?
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株主還元(自社株買いや配当)に積極的か?
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政治的なリスクが比較的低い事業構造か?
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これらの基準をクリアし、かつ株価が純資産やキャッシュフローに対して極端に割安な水準(例えば、PBRが1倍を大きく下回る、EV/EBITDA倍率が歴史的低水準にあるなど)で放置されている銘柄があれば、それは勇気を持って拾うべき「瓦礫の中の宝石」かもしれません。

「悲観の極み」の候補地②:世界の公益・インフラセクター
金利上昇は、一般的に公益株にとって逆風です。これらの企業は安定配当が魅力ですが、金利が上昇すると、より安全な債券の魅力が相対的に高まるため、株価は売られやすくなります。また、大規模な設備投資を必要とするため、借入金利の上昇も収益を圧迫します。
現在の高金利環境は、まさにこのセクターに「悲観」の影を落としています。しかし、ここにも逆張りの視点があります。
第一に、私たちの生活に不可欠な電力、ガス、水道、通信といったサービスを提供する公益企業の需要は、景気変動の影響を受けにくく、極めてディフェンシブです。インフレに応じて料金を改定できる仕組みを持つ企業も多く、インフレ耐性も備えています。
第二に、先ほども触れたエネルギー転換や、AIの普及に伴うデータセンターの爆発的な電力需要増は、電力会社にとって長期的な成長ドライバーとなります。社会のデジタル化や脱炭素化を支えるインフラ企業は、今後数十年にわたって安定的な需要が見込めるのです。
金利上昇という短期的な逆風によって、長期的な成長性が見込まれる優良なインフラ企業の株価が、魅力的な配当利回り(例えば4%〜5%超)で放置されているなら、それは絶好の仕込み時となり得ます。将来、金利がピークアウトし、低下局面に転じれば、債券との比較での魅力が増し、株価は見直される可能性が高いでしょう。
実践的ケーススタディ:投資仮説と反証条件
抽象的な話だけでは、実践にはつながりません。ここでは具体的な思考プロセスを追体験できるよう、3つのケーススタディを挙げてみます。(※特定の銘柄の推奨を意図するものではありません)

ケース1:「悲観の極み」で拾う中国大手Eコマース企業
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現状: マクロ経済の悪化と消費者心理の低迷を背景に、株価は過去5年間の最安値圏で推移。市場は「中国の消費は終わった」という悲観論に支配されている。PERは10倍を割り込み、競合の米国企業と比較して極端なディスカウント状態にある。
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投資仮説:
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同社は中国Eコマース市場で圧倒的なシェアと顧客基盤を維持しており、そのネットワーク効果は揺らいでいない。
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バランスシートには巨額のネットキャッシュがあり、財務的な耐久力は極めて高い。このキャッシュは、現在の時価総額のかなりの部分を占めており、事業価値は極めて安く評価されている。
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経営陣は大規模な自社株買いと配当増額を打ち出しており、株主価値向上への意識は高い。
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マクロ経済の悲観が行き過ぎており、景気が底を打つ、あるいは政府の刺激策が奏功すれば、EPS(一株当たり利益)の成長回復と共に、PERのマルチプルも拡大(再評価)する余地が大きい。
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反証条件(いつ損切りを検討するか):
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中核事業であるEコマースのシェアが、新興勢力によって継続的に侵食され始めた場合。
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米中対立が激化し、同社が米国の金融制裁の対象となるなど、事業継続そのものが脅かされる事態に陥った場合。
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デフレが深刻化し、長期間にわたって売上・利益の減少が止まらない場合。
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ケース2:「忘れられたセクター」からの発掘:欧州の大手製薬企業
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現状: 市場の関心はAIや米国の大型ハイテク株に集中。製薬セクターは、主力薬の特許切れ(パテントクリフ)懸念や、米国の薬価引き下げ圧力などから、投資テーマとして敬遠されがち。株価は地味なレンジ相場を続けている。
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投資仮説:
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同社はがんや免疫疾患といった成長領域で強力な新薬パイプラインを多数保有しており、数年内に複数の大型薬の上市が見込まれる。
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世界的な高齢化の進展により、医薬品への需要は構造的に拡大し続ける。
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現在の株価は、将来のパイプライン価値を十分に織り込んでおらず、予想PERは市場平均を下回る。配当利回りも魅力的で、下値不安は限定的。
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市場が新薬開発の成功を認識し始めた時、株価は大きく見直される可能性がある。これは一種の「静かな悲観」の中で仕込む投資と言える。
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反証条件:
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最重要視している開発後期の新薬が、臨床試験で失敗した場合。
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予期せぬ大規模な訴訟リスクが浮上した場合。
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各国の政府が、想定を大幅に超える厳しい薬価規制を導入した場合。
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ケース3:「楽観の極み」への警戒:SaaS系AIソフトウェア企業
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現状: 「あらゆる業務がAIで効率化される」という壮大なストーリーを背景に、株価は右肩上がりが続く。赤字経営であるにもかかわらず、PSRは30倍を超え、熱狂的な買いを集めている。
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投資スタンス(買いではなく、警戒):
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仮説:
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同社の技術は革新的かもしれないが、競合も多数出現しており、長期的な競争優位性は不透明。
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現在の株価は、ほぼ完璧な事業計画の達成を前提としており、少しの躓きも許されない。金利が高止まりする中、黒字化への道筋が遠のけば、評価は急激に剥落する。
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市場全体の地合いが悪化した場合、こうした「夢」で買われている銘柄が真っ先に、そして最も大きく売られる傾向がある。
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具体的なアクション:
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この銘柄を保有しているなら、少なくとも一部を利益確定し、よりバリュエーションの低い資産に振り分けることを検討する。
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空売りは高いリスクを伴うため推奨しないが、少なくとも今からこの水準で新規に大きなポジションを構築するのは避けるべき。「買わない」というのも立派な投資判断である。テンプルトンは「楽観の極みで売る」と言った。それは、熱狂の渦から静かに立ち去る勇気を意味する。
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シナリオプランニング:起こりうる未来への備え
優れた投資家は、一本のシナリオに固執しません。起こりうる複数の未来を想定し、それぞれに対応する戦略をあらかじめ準備しています。
強気シナリオ:世界経済のソフトランディング
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トリガー: 米国のインフレが明確にFRBの目標である2%への道筋を辿り始め、利下げが視野に入る。一方で、企業業績は底堅さを維持する。中国の景気も、政府の対策がようやく効果を発揮し、底入れの兆しが見える。
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戦術: ポートフォリオのリスク許容度をやや引き上げる。これまで「悲観」の中で仕込んできた景気敏感株(シクリカル銘柄)や、中国関連株の比率を高めることを検討。ただし、楽観が広がる中でもバリュエーション評価の規律は緩めず、過熱感が出てきた銘柄からは利益確定も視野に入れる。
中立シナリオ:高金利と低成長の併存(現在の延長線上)
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トリガー: インフレは高止まりするが、景気後退に陥るほどでもない。金融政策は現状維持が続き、市場は方向感に欠けるレンジ相場となる。
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戦術: これこそ、テンプルトン流の「バーゲンハンティング」が最も活きる環境。市場全体の値動きに一喜一憂せず、セクター別、個別企業別の分析に注力する。「悲観」に沈むセクターや、市場から忘れられた優良企業を、時間をかけて拾い集めていく。ポートフォリオ内でのリバランスを丁寧に行い、質を重視する。
弱気シナリオ:スタグフレーションと地政学リスクの顕在化
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トリガー: 中東や台湾海峡で地政学的緊張がエスカレートし、原油価格が急騰。インフレが再燃する一方で、世界経済は同時に後退局面に入る(スタグフレーション)。
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戦術: まずは守りを固める。現金比率を引き上げ、嵐が過ぎ去るのを待つ。米国長期国債や金(ゴールド)といった安全資産への資金逃避も検討。そして、ここが最大の勝負どころとなる。市場がパニックに陥り、優良企業の株までもが投げ売りされる局面こそ、「生涯最高の買い場」となり得る。あらかじめ作成しておいた「悲観の極みで買いたい銘柄リスト」を手に、恐怖に打ち勝って買い向かう準備を整えておく。
トレード設計という「実務」:感情を排し、規律を貫く
どんなに優れた分析も、実行が伴わなければ意味がありません。「悲観の極みで買う」ことは、言うは易く行うは難し。その難しさは、人間の心理的バイアスに起因します。
エントリー:底値は狙わない、「ゾーン」で捉える
「悲観の極み」は、ピンポイントの「底値」ではありません。そんなものを当てようとすること自体が傲慢です。そうではなく、バリュエーションが歴史的に見て、また同業他社と比較して、明らかに魅力的な水準に達した「ゾーン(価格帯)」として捉えるべきです。
例えば、「PBRが0.8倍を割り込み始めたら、打診買いを開始する。0.7倍、0.6倍と下がるごとに、機械的に買い増していく」といったルールを事前に決めておきます。一度に全力で投資するのではなく、2〜3回、あるいはそれ以上に分割してエントリーすることで、精神的な負荷を軽減し、平均取得単価を引き下げる効果も期待できます。これを「難平買い」と混同してはいけません。難平買いは、根拠なく下がる株を買い続ける行為ですが、私たちのそれは「価値に対して割安なゾーンで、計画的にポジションを構築する」という規律に基づいた行動です。
リスク管理:テンプルトンも損切りをした
逆張り投資は、「買値が安ければ、いずれは助かる」という安易な考えに陥りがちです。しかし、テンプルトン自身も、自分の分析が間違っていたと判断すれば、躊躇なく損切りをしました。
重要なのは、エントリー前に「投資仮説が崩れる条件(反証条件)」を明確にしておくことです。先ほどのケーススタディで示したような条件が満たされた場合、それは単なる市場の悲観ではなく、その企業の펀더멘タルズが本当に毀損したことを意味します。その時は、潔く撤退する勇気が必要です。損失を確定するのは辛い作業ですが、それが致命傷を避け、次のチャンスに資金を振り向けるための唯一の方法なのです。
心理:孤独を恐れず、自分の分析を信じる
「悲観の極み」で買う時、あなたは間違いなく孤独です。メディアは連日ネガティブなニュースを流し、周りの投資家仲間は「なぜあんなものを買うんだ?」と訝しむでしょう。人間の脳は、本能的に集団から外れることを恐れるようにできています(同調バイアス)。
この心理的な圧力に打ち勝つためには、徹底した事前の分析と、それによって得られた自分自身の判断への確信しかありません。「なぜこの株価は不当に安いのか」「どのような触媒(カタリスト)があれば株価は回復するのか」「最悪のシナリオでも、この企業は生き残れるのか」。これらの問いに、自分自身が納得できる答えを持っていることが、嵐の中で船の舵を握り続けるための錨となります。
今週のウォッチリスト(2025年8月第2週)
具体的な行動の第一歩として、私が今週特に注視している市場やセクターをリストアップします。これは買い推奨ではなく、皆さんがご自身の分析を深めるための「出発点」としてご活用ください。
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中国ハンセンテック指数(HSTECH): 中国のハイテク企業の株価動向。マクロの悲観がどこまで織り込まれているかのバロメーター。
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iシェアーズ グローバル・クリーンエネルギー ETF (ICLN): 金利上昇で売られたセクターの代表格。底打ちの兆しが見えるか。
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米国地方銀行 ETF (KRE): 商業用不動産ローンへの懸念から売られているが、統合再編の動きも活発。個別の玉石混交を見極める価値あり。
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欧州のラグジュアリーブランド企業群: 中国の景気減速懸念で株価は調整局面。しかし、ブランド価値は不変か?富裕層の消費動向を注視。
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日本の大手総合商社: PBR1倍割れの銘柄もまだ存在する。事業ポートフォリオの強靭さと株主還元の強化に注目。円高進行時のヘッジにもなり得る。
よくある誤解と、テンプルトンの真意
最後に、テンプルトンの教えを巡るよくある誤解を解き、その真意を深く理解することで、本記事の締めくくりとしたいと思います。
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誤解1:逆張りとは、ただ下がっている株を買うことである。
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真実: テンプルトンが買っていたのは「クオリティ・バーゲン」、つまり質の高い企業が一時的な不人気によって安くなっているものでした。構造的に問題を抱え、価値そのものが失われつつある「落ちるナイフ」を掴むこととは全く異なります。重要なのは、価格の下落が펀더メンタルズの毀損によるものか、市場心理の悪化によるものかを見極める分析力です。
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誤解2:「悲観の極み」とは、大暴落の時だけを指す。
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真実: リーマンショックのような歴史的なクラッシュは、確かに「生涯の買い場」です。しかし、テンプルトンはそれ以外の時も常にバーゲンを探していました。市場全体が平穏に見えても、特定の国、特定のセクター、あるいは特定の個別企業には、局所的な「悲観の極み」が常に存在します。私たちの仕事は、その局所的な嵐を見つけ出すことです。
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誤解3:買ったら、あとはひたすら長期保有すればよい。
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真実: テンプルトンの目的は「安く買って高く売る」ことであり、保有期間そのものではありませんでした。彼が買った株の平均保有期間は4年程度だったと言われています。悲観の中で買った資産が、市場の再評価を受け、今度は「楽観の極み」に達したと判断すれば、彼はためらわずに売却しました。利益確定もまた、逆張り投資家の重要な規律なのです。
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明日からの行動変容へ
この記事を読んで、何かを感じ、考えたのであれば、ぜひそれを具体的な行動に移してみてください。知識は、行動して初めて力となります。
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ポートフォリオの「温度計」を確認する: 今、ご自身が保有している銘柄の中で、世間の「楽観」に乗りすぎているものはないか?その銘柄を買った根拠は、今も有効か?冷静に点検してみましょう。
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「悲観ニュース」を深掘りする: 新聞やニュースサイトで「業績悪化」「先行き不透明」といった見出しで叩かれている企業やセクターを見つけたら、思考停止せずに「なぜだ?」と一歩踏み込んで調べてみましょう。その悲観は一時的なものか、構造的なものか。自分なりの仮説を立てる訓練です。
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「もしも」の買い指値リストを作成する: 今すぐには買わないけれど、「もし、あと20%下落して、あの価格帯に入るなら絶対に欲しい」と思える優良企業を3〜5銘柄リストアップしてみましょう。そして、実際にその価格で指値注文を入れてみるのです(約定しなくても構いません)。これは、パニック売りが起きた時に冷静に行動するための予行演習になります。
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テンプルトンの書籍を手に取る: 本記事で触れたのは、彼の哲学のほんの一部です。『テンプルトン卿の流儀』などの名著を読めば、その思考の深さと人間的な魅力にさらに触れることができ、あなたの投資家としての血肉となるはずです。
市場は常に、恐怖と欲望という人間の感情によって揺れ動いています。その波に乗りこなす唯一の方法は、ジョン・テンプルトンが示したように、群集から離れ、自らの分析と規律を信じ、静かに、そして大胆に行動することです。悲観が渦巻く場所にこそ、未来の大きなリターンが眠っているのですから。
免責事項: 本記事は、情報提供のみを目的としており、特定の金融商品の売買を推奨、勧誘するものではありません。投資に関する最終的な決定は、ご自身の判断と責任において行っていただきますようお願い申し上げます。


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